好きを拡張して嫌いを隠すためのライフハック

小学生の時、いじめっ子だった。たびたび語られるのはいじめられた側の話だが、そればかりが世の中に流通しているのは、いじめた側もいじめたと言う事実を忘れられないからではないだろうか。自分の中にあった悪意を見過ごすと言う存在証明をした結果語られない。私はあえて見過ごしていた悪意を自分の中から抜き出す事をよくする。自分の矮小さを自覚しなければならない。私はその子の事をよく殴った。強く背中をはたいたり、足を踏むなどしょっちゅうしていた。その子は賢かった。私の中にある恐れのようなものも見透かされていた。「先生に言ったら許さない。」情けない私は情けない脅しを何度もその子にしていた。小さい頃から悲しいくらい私は歪んでいる。歪みはなおらない。申し訳なくなることはあってもなおらない。一緒になっていじめていた子は親とともに謝りに行ったが、私は母に事実を歪めて伝えていたため行かなかった。性根が腐りきっている。そんな人間が大きくなったからといって人に受け入れられるなんて誤解も甚だしいと思う。